友達って何?
引きこもりの定義は,精神科医の斎藤環氏が著書『社会的ひきこもり』(PHP新書)の中で,『20代後半までに問題化し,6ヶ月以上社会参加せずに自宅に引きこもり,ほかの精神障害を第一の原因としないもの』と書いており,これがほとんど社会的に受け入れられている.
私も基本的に異論はない.もうひとつ<定義>として付加えれば『友達がいない』ことを上げておく.引きこもりと類似の状態で,20代,30代になっても就職せず,親にパラサイトを決め込んでいる人がおり,困った親が「うちの子は《引きこもり》で」と相談に見える.
もちろん,引きこもりと同じような問題を抱えている場合もあるが,お話を聞いてみると何人かの親しい友達がおり,彼らとは打ち解けた話が出来ている.この場合,私は『引きこもりではない』と断言し,持って回ったようなカウンセリングを受けるよりも,むしろボランティア活動などのやりがいのある社会活動に参加することを勧める.尤も,彼が『引きこもり』であったとしても勧めることは同じであり,大した違いはないのだが….
『引きこもり』でなくても『友達がいない,出来ない』という悩みを打ち明ける若者は多い.《前・引きこもり症状》とでも言うべきか,気をつけたほうが良い.
最近,電話を掛けてきた25歳のある青年は,『私は引きこもりではないが,中学校のときにいじめを受け,それ以来,同世代の友達を避けてきた.職場には年下のアルバイトがおり,親しくしてくれるが,友達ではない』という.
彼は『中学・高校時代にできる友達が,生涯付き合って行ける親友になる』という《俗説》を信じており,25歳になった今,《年下のアルバイト》から相談や悩みを打ち明けられても,それは『友達ではない』と思っている.
確かに中学生や高校生の時代は同世代の仲間と毎日付き合っているのだから,同世代の親友が出来やすい.でも,職場でいろんな世代との付き合いがあるのに,そこでの人間関係は友達関係ではないなんて,とんでもない誤解である.
『君にとって友達の《定義》って何?』と聞いてみたら,『タメ(対等)の関係で,いっしょにお酒を飲みにいったり,旅行に行ったり…』と言う.別にこの定義に問題があるわけではないが,どこか淡白で割りきった『友達観』だなと感じた.
私たちが不登校や引きこもりの若者の親に「言って欲しくない《3か条》」というのを伝えている.
第1は「目的を持ちなさい」.
第2は自立しなさい.
第3は「他人に迷惑をかけてはいけない」.
第1と第2は引きこもりに言っても無駄.『自分の悩みをわかってくれない』と親に対する不信感を募らせるだけである.第3は実害がある.あるいは引きこもらせる遠因の一つであると言っても良い.
高度経済成長期と言うのは同時に『都市化社会』でもあった.農村から大量の人口が都市に流れ,過密な大都市を形成して行った.彼ら都市化第一世代そのものが,親達から『東京へ行ったら,人様に迷惑をかけてはいけない.《田舎者》だと笑われるようなことをしてはいけない』ときつく言い渡されており,それを金科玉条のように守って生きてきた.
人に迷惑をかけてはいけないのは《当たり前》のことだ.電車の中で大股を広げて座席を占領したり,携帯電話で傍若無人の大声で話したりは,当然慎まなければならない.
こうしたマナー違反は,一向になくならないどころか,ますますひどくなっている.『人に迷惑をかけてはいけない』という親の言葉は,どのように受け止められたのか.電車の中で迷惑をかける相手は見ず知らずの他人である.どうも,親が言う『迷惑をかけてはいけない』他人には,《見ず知らずの他人》は含まれていないらしい.隣近所の人には迷惑をかけてはいけないので,家では大声や騒音を出さず,遊びともだち(の親)に迷惑をかけてはいけないから,ともだちの家には遊びに行かず,学校の先生にも迷惑をかけてはいけないので,学校ではおとなしくし….
要するに,《親の知人》に迷惑をかけてはいけないのである.
こうして,『迷惑をかけてはいけない』と幼いときから躾られてきた子ども達は,いたずらもできず,大失敗もせず,奇妙に淡白な人間(ともだち)関係の中で育てられてきた.
迷惑をかけないように奇妙に礼儀正しい大人子どもに,気のおけない友人などできるわけがない.まして親友などというものは,お互いに迷惑の掛けっこをして,そして,それがどちらも苦にならないような関係をこそ言うのである.
友達がいないから,引きこもりになるというのではない.いじめにあったり,不登校になったときに相談したり,助けを求めたりできる友達がいないから,引きこもりから抜け出せないのである.
だから,引きこもりが長期化すると,それまでいた友達とまで縁を切ってしまう.電話がかかってきても居留守などで対話を拒絶する.友達に『迷惑を掛ける』のが怖いのである.
友達を作れないのは《引きこもり》だけではない.先に書いた青年のように『年下のともだちから相談を持ちかけられる』のは「タメ(対等)の関係」ではない,と思っている.
このタメという言葉,最近『タメ口を聞く(対等同士のような言葉遣いをする)』などという言い方を良く耳にするが,つまり,『迷惑』を掛けたりするような『上下関係』でないことを意味しているらしい.だから,多少年上の人に対しても『タメ口』ではなすのは,都会的でカッコ良い子とだと思っている.人間(友達)関係に対する随分な《誤解》である.
人はある意味で他人に《迷惑》を掛けずに生きていくことなど出来ない.ましてや,大人に《迷惑》をかけずに生きていける子どもなど,皆無に等しい.大人はそんな子どもが増えることなど望んではいない.親が言う『他人に迷惑を掛けるな』という言葉など,『早くしなさい』というのと同じ程度の口癖か寝言程度に受け止めるべきである.
大いに迷惑を掛けるべきだし,また他人の迷惑を大いに受け止めてあげるべきである.そうすれば君にも友達ができるし,その友達が年下でも,年上でも良いのではないか.
さしあたり,25歳の青年や引きこもっている若者に言っておく.『鍋の会』では《見ず知らず》の友達候補者が大勢待ちうけている.
(6月9日)