妾(めかけ)の子
『妾の子は優秀である。』これが私がここで言いたい命題、ないしはテーゼである。しかし、そもそも『妾の子』ないしは『妾』なるものが今の若者たちに通じないとすれば、『妾』を言い換えるなり、説明するなりしなければならない。面倒なことになりそうだ。
『妾』とは愛人である。愛人といっても『妻』がいることを前提とした愛人、つまりは『不倫』の関係であるが、男女双方向に成り立つ不倫関係ではない。女のほうは概ね花柳界にいたり水商売の関係者で、経済的支配を前提にした愛人関係である。かといって、いまどきの『援助交際』のように一時的な金銭のやり取りだけに割り切った関係でもない。ある一定期間持続することを前提にした愛人契約とでも言おうか。
これだけ説明すれば『妾』という言葉も『妾』という存在も大体が想像つくだろう。ただし、この説明の中で『花柳界』なんて言葉を使った。『花柳界』だって説明できないことはないが、これだけ社会の実態やシステムが変わっているのに、いちいちその言葉や実態を説明していればきりがない。しかもそのシステムはすべて良いほうに変化しているとは限らない。何も私が『妾』や『花柳界』の存在した昔の方が良かったといっているのではない。だから昔のことを説明するのは難しいのだ。
『妾』を持つのを昔は『男の甲斐性』だといった。妻とは別に経済的に愛人を囲うのであるから、確かに経済的には『甲斐性』がなければならない。少なくとも経済力はある。母親、つまりは『妾』その人であるが、その『甲斐性』のある男に金を出させるのであるから『妾』は美人でなければならないし、男の愛情を繋ぎ止めておくためにはある程度賢くなくてはならない。
私が『妾の子は優秀である。』とするのは父親に『甲斐性』があり、母親が賢ければその息子は優秀だろう、という推論に過ぎない。とりあえず、『妾』というアンシャンレジームを支持しているかに見える私に対して目を三角にして怒っているかのように見える貴女は気を鎮めてほしい。妾の子が優秀だといっているのは大学時代の三人の友人である。三人とも京都大学の卒業生だが、京都大学だから優秀だといっているのではない。しかし、彼らのどこが優秀だといっていちいち説明しなければならないとしたら、彼らのプライバシーにも関わる行いを詳しく語ることになるだろうから、とりあえず京都大学だから優秀だということにしておこう。
一人目の友人は某有名大企業の社長の息子であった。母親は元芸妓でその頃は地方旅館の経営者。この人とは長く付き合ったが、頭の良いことには敬服している。大学を卒業してから某独立行政法人の研究職につき定年を迎えたとか。最後は平凡な研究職なのだがそのプロセスは反逆精神に燃えた思想家であった。彼は妾の子という恵まれぬ生い立ちを反逆の思想家という半生に昇華した。妾の子というのはこの『恵まれぬ生い立ち』を抱えているだけでも優秀である。
二番目の友人は年下である。父親は『甲斐性』者には違いがないが、町の中小企業の社長である。母親は元祇園の芸子である。本人は元放送局でディレクターなどをやっていたが、父親の後を継ごうとしたか、堅気の仕事に転じた。この男には本妻の子である兄がいて遺産相続などのいざこざがあったようである。この男は気配りの天才である。気配りをするのは良いが、異腹の兄や実の母親など気配りをする相手との関係が複雑すぎて話が分かりにくくなる。『俺は仕事とSEXは家に持ち込まない』要するに浮気をするときの言い訳なのだが、まともそうな理屈を言うので何が正しいのかわけが分からなくなる。
三番目の友人で妾の子は私の大学の同級生である。なんとなく肌が合いそうというので入学式以来の付き合いだったが、小学校の同窓でもあった。父親や母親についてはその身分・生業など聴いたことはないが、『俺は妾の子だ』と広言していたようでしかもいかにも遊び人という風情であったので『妾の子』というのはなんとなく信じられた。もっとも、『妾の子』なんて嘘をつく人などいるはずはなくて、みんな『へーえ』とすぐに信じた。麻雀をやりながらのことだった。この男は某広告代理店に入社したがまったく出世欲などなくて年中遊びごとや競馬に凝っていた。もちろん高給取りでありながら借金まみれであった。
私の友人で『妾の子』というのは後にも先にもこの三人だけであった。しかし京都大学時代の知人はずいぶんと素性の怪しいのが多くいた。酒を飲んで昔話などをしだすと、父母の話をあまりしたがらないのである。たいていは幼いころに親戚にもらわれたなどという話である。親戚の中に貧しい一家があり、そこに成績優秀な子がいると『養子縁組』などという話が良くあったのである。中には『妾の子』ほどではなくても一族の有力者が貧乏人の女に手をつけ、時が経ってできた子どもが優秀だったので養子にしたなんて話もよくある。わたしは昭和19年生まれ。育った時代に戦後の影が残っていて当然である。妾だの養子だのというのは古い時代の名残であろう。今の若い人が知らなくて当然。
いずれにししてもこの『妾の子』だの『養子』だのというのは独特の体臭を放っている。出世欲などなく反逆精神に満ちているのはもちろんだが、『上昇志向』などまるでない。『下降志向』ならとことんまで付き合おうかという友達付いき合いのよさである。 『妾の子』であろうと『養子』であろうと『恵まれない幼少期』を背負っている点では共通しているはずである。出世して『妾』であった母親なり、貧しかった実の両親になりに恩返しをしたいなどという気持ちがあっても不思議ではない。でもしかし彼らはそうではない。現実に目の前にいる友人である私たちに誠実に振舞おうとする。誠実に友人に振舞おうとして、抜け駆けのように出世などできるわけがない。大恩のある人はいるはずだが、妾だの養子だのという自体、擬制だと思っている節が在って、人間の生きてきた道として信じていないのである。
引きこもりである諸君は名実ともに両親の元に生まれ、過剰な愛にむしろ自家中毒を起こすほどである。世の中には家庭愛に恵まれず、幸い薄き人生を送って行くことを余儀なくされた人もいる。それに比べれば諸君は恵まれている。引きこもりを生み出した社会と世代の罪を忘れたわけではないが、君たちは最も豊かな時代の鬼子である。ところで、かく言う私も昔の『未婚の母』の子であった。そのころの父には交際中の複数の女性がいた。同じ月、つまり私の生まれ月に、三人の女性が子を産んだそうな。父はそのうちたった一人の男の子を産んだ女性と結婚した。それが私の母であったそうである。
2005.12.12.