『社会的ひきこもり―終わらない思春期』斎藤環著 PHP新書
本書は,精神科医として思春期・青年期の精神病理を専門にする著者が,自らの臨床経験に基づき「ひきこもり」の分析と,それへの具体的な対応をまとめた本である.経験談レベルにとどまっていたこれまでの「ひきこもり」関連本に対し,本書は「ひきこもり」とは何であるのかを一般的な形で提示している.つまり,それぞれ違う個別のケースを超えて,「ひきこもり」全体に共通する問題とは何かを明確にしてくれる.
このような理論化なくしては,当事者は,ただ個別のケースに振り回されるだけで,「ひきこもり」の回復への明確な指針を立てることはできないだろう.このような試みを行った点で本書を評価することができる.
では,「ひきこもり」の問題とは何か? 斎藤は,ひきこもりをその当人だけの病理と考えるような立場を退ける.もし「ひきこもり」が病気ならば,つまり,ひきこもっている当人だけに,ひきこもりの原因がある場合ならば,その原因を取り除きさえば問題は解決する.したがって,必要なのは本人が適切な治療をきちんと受けることであり,しっかり努力すれば「ひきこもり」は解決するだろう.また,「ひきこもり」からいつまでたっても出られないとすれは,治療か本人のいずれかに問題があるということになる.いずれにせよ,これは「ひきこもり」を普通の病気と同じように扱う見方である.
しかし,斎藤によれば,そのような見方は誤りである.斎藤は,「ひきこもり」が当人と家族や社会との"関係"の問題であることを強調する.つまり,一言でいえば,「ひきこもり」とはコミュニケーションの問題である.コミュニケーションが一人では成立しない以上,本人だけの問題ではなく,家族や社会の側にも問題があると考えなければならない.また,「ひきこもり」と精神疾患とは,症状としては似ているが,その原因はまったく異なるということになる.したがって,治療においてもこの両者をはっきりと区別しなければならない,と斎藤は注意を促す.
では,いったいどのようにすれば「ひきこもり」を治療できるのだろうか.ここで斎藤が強調するのは,「ひきこもり」を維持しているのが当人を取り囲む現状の関係そのものである以上,何らかの方法でこの関係を変化させなければならない,ということである.
しかし,いきなり本人に社会と関係を持たすことはできない.このような試みは,本人にのみ変化を求め過剰な負担をかけるため,ほとんど効果がない.現実的なのは本人に負担のかからない段階的な関係の変化である.そのためには,家族がまず変わらなければならない,と斎藤は述べ,家族と当人,家族と社会との関係を変化させていくことが必要であるという.
とはいえ,具体的に家族はどのように当人と,また社会と関係を持てばいいのだろうか? この点に関しては本書を読んでもらうのが一番いいだろう.非常に具体的なアドバイスに満ちている.
本書は「ひきこもり」に対応するための,明確な指針与えてくれる.だから,当事者にとって心強い味方になってくれるだろう.もちろん,問題を理解しただけでは,解決することはできない.そのためには長い時間と粘り強い努力が必要となる.しかし,それを支えてくれる理論を本書は確実に提供するように思われる.
橘知之 ニュースタートパートナー